2016/02/06 22:33
2011年。私、星野が紀伊国屋書店新宿南店6Fで、写真集の担当をさせていただいていたときのこと。
決してメインストリームではないものの、自分で好きなことを好きなように少部数出版する「リトルプレス」が私のアンテナにひっかかってきた。それはおそらく、『リトルプレスをつくる』だったり、このサイトを一緒に運営している土澤さんの『フロム・リトルプレス』などが出版され、ちょうどそのころ、私も仲間とともに『ゆがみ』をスタートさせていたから、必然的に体が反応したんだと思う。
SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSさんや、COW BOOKSさんなども、独自のリトルプレスフェアを開催して、盛り上がりを見せていた。
当時、紀伊国屋書店新宿南店の6Fでは、高島屋との連絡通路の入口に、大きな企画用スペースがあり、企画が持ち回りになっていた。企画は大きく分けて三パターンだ。出版社からの持ち込み系の企画、本部からの指示系の企画、書店員の趣味や好きを活かした独自企画。私、というか芸術書チームは基本的に、最後の独自企画にこだわっていた。版元さんからの提案があった場合でも、何か独自性が出せる場合はゴーで、どうやっても熱が入らなさそうなときは、ほかの担当者にスペースを譲るなどした。本部からの企画は、たいてい「えー」(笑)という感じのものが多いのだが、アフリカのなんとかという民族が描いた、なんとかという絵は予想に反して売上がよかったために、ある意味勉強になった。
ということで、私は、おそらく紀伊国屋史上初であろうリトルプレスフェアを企画・開催した。
「お初」というのは実は微妙なところで、つまりバーコードのない同人誌やアラーキーの自作写真集などは、これまでというかもともと紀伊国屋書店本店の「売り」だったはずで、それってリトルプレス(少部数出版)じゃないの?ということだからだ。たまたまこの時流でもってそういう一般流通していないちょっと趣味的な本のことを「リトルプレス」とくくられるようになったのか、それはいつ頃からなのかまだわからない。同人誌と、ZINEと、リトルプレスと違いはなんだろう、、似ているようで、どれも文脈が違うように思う。とりあえずは、その定義みたいなことは置いておいて、、いちおう当時は「初」(自分調べ)ということだったのだけれど、今は果たしてどうなんだろうということで「リトルプレス 紀伊国屋書店」でぐぐってみた。やはり、というべきなのか、ところが、というべきなのか、2011年のフェアの模様がトップに出てきた。下に続くページもその当時、リトルプレスの作り手さんたちがお知らせくださった投稿だったり、そういう記事ばかりなので、これはもしや初にして最後だったのかもしれない。。
確かに、売上がそんなに見込まれるわけでもなく、手間がほかの企画に比べてむちゃくちゃかかる。むしろバーコードのない商品は、本ではなく雑貨扱いで、レジの学生にもそれのレジの打ち方を伝えたり、仕入れ時の検品、販売数の計算、返品の手作業など、一般流通している本に比べたら5倍くらいの手間だ。ただ、自分が好きだったのと、お客さんも好きな方はいらっしゃったのがわかったから、私は二回目も開催できた。仕入れについては、土澤さんにも協力していただいた。
私がなぜリトルプレスを好きになったかというと、何かこう子どもが絵を描くような感覚で本をつくっていいんだということを、リトルプレスに教えてもらったように思うからだ。好きな食材でつくる料理があるように、好きな紙や写真、イラスト、文章で本をつくって、それをお客さんの手にとっていただく。そういう本来の出版活動の根源にある、作り手の声だったり熱、勢いをダイレクトに投入してできあがるそれは「なんか好き」と言わざるを得ない。よく考えたら、それは本に限ったことではなくて、音楽や映画、野菜、はたまたiPhoneやGoogle、その他あらゆるソフトウェア、インターネットサービスの中にも、そういう想いやストーリがこめられているものだ。
コエノエでは、そういうことを発信していきたいし、つくっていきたいと思っている。
2016.2.6 星野陽介